皆さんこんにちは、ミライジンです。
南海トラフ地震が来る来ると色んなところで騒いでいます。そういえばオーム真理教の洗脳の仕方に予言というのがあったそうです。
〇月〇日に大地震が来る=当たれば「おおーっ凄い」となりますが、
外れても、「私が回避させた!」というともっと凄い「おおーっ」が起こるそうです。
え?こんなんで洗脳されちゃうの?本気?
最近話題の世界〇一教会では「サタン(悪魔)への恐怖心から献金をしてしまう。『身も心もすべて捧げないと地獄に堕ちる』と信じ込まされているのです」
ウソでしょ!神様が人間にお金を要求?
ま、世の中のカミさんから「毎月稼ぎが少ない!」と請求されるのは仕方ないとして、
肉体の無いイエス・キリストが人間に生まれ変わった(文○○)途端に「金だー!金を出せー!」
と叫び出し、「ハイどうぞ!」って土地や建物を売却して収めたり、毎月死に物狂いで献金しちゃうなんて、神様を集金の道具にしてバチが当たらないんでしょうかね?
という訳で、(どういう訳だよ)
本日のテーマは「神様」です。
神とか興味も理解も無いという方もいらっしゃるかもしれません。胡散臭いなとか嫌悪感を抱く方はこのページをスルーされて下さい。それ以外の方でも理解することは出来ないかもしれませんので、
「へえ~そうなんだ!」程度のレベルで話を読み進めてみてください。
「神道の光輝:世界が見守る日本の精神遺産」神々の教えが世界を照らす:神道の普遍的魅力
日本人ならば無意識の根源の何処かに息づいている考え方である。その最たるものは「森羅万象に神が宿る」と考えで、神社で神をまつり祭祀を重視する宗教です。
山や川、月や太陽のような自然なものから特定の人物(AKB48の神7「オイ!」)や動物・植物など宇宙に散在する一切のものに神が宿るという考え方。島根県の出雲大社には「八百万の神々」が集うとされ、古代の文化や神話、伝説が息づいています。
神道 – Wikipedia (しんとう)神社神道が主流となっております。
悪い事を企てる輩に「お天道様は全てお見通しよ!」という脅し文句を使って悪事を諫める言葉が古くから存在する。この言葉は、たまーに頭に浮かんできます。(悪事を働くんかい!)
考えてみたら、日本人の良さや本質的な素養はこの神道の存在が大きいのではないかと考えます。
全ての万物に神が宿り、あちこちに神様だらけならそれはもう感謝しかありませんよね!
植村花菜さんというアーティストが「トイレには神様がいるんやでえ!」と歌にしちゃいましたね。
ついでに思い出しましたが、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞ!ということを国民の皆さんにもっと強く自覚してもらいたい」と失言して更迭された首相がおりましたね!
そんな神様感が浸透している国民性がベースにあるので、献金して『身も心もすべて捧げないと地獄に堕ちるぞ』というの教義がスポッと腹の底まで収まってしまう理由なのではないでしょうか?
日常生活で特に意識したり自覚する訳ではありませんが、”元日になると初詣に神社に行き一年の祈願”をしたり、入信していないのに”結婚する時だけ教会で式を挙げたり”、”クリスマスになると「メリーXmas!」とケーキにシャンパン開けていパーティをしますが、肝心なキリストの誕生日という意識は完全にぶっ飛んでますよね!?
こうして考えてみると新しいものを受け入れてアレンジしてしまう日本人の国民性って、神道の影響を受け”全ての物に感謝の心”を持つころで、それらを取り入れて加工する力が生まれてくるのではないでしょうか?
そう感じるのは私だけでしょうか?
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御都合主義的な神様の扱い「だから上手くいく」
想像を遥かに超える天災・人災、大規模な事件が起こるとふとよぎるあの言葉。「この世には神も仏も存在しない」。神様がこんな事を起こすはずがないから、この世にはきっと神も仏もいないんだ!と解釈してしまう。
神道にも通じる考えですが、大自然(山・川・海・空)に神が宿るなら地震を起こすのもきっと神であろう。であるなら神がこんな酷いことをして家族全員と家も友達も全て失った。神も仏もいないんだ。となってしまうのは理解できなくもありません。
しかし、基本的に大自然の調和や均整を見出しているのは人類の仕業であり、少なくとも異常気象や地球温暖化の問題はCO²撒き散らしている我々が原因だ、いわば人災です。
まあ、災害で全てを失ってしまった方はそう感じてしまってもムリはない感じはします。
では、神様の役割は一体何なんだろうか?
その答えは、神様はただじっと見ているだけの存在です。
これは親にも通じる話ですが、親という漢字は「木に立って見る」です。でも困った時には必ず助けてくれる。
親は独り立ちした子を見守るしかないのです。でも、私たちはどうにもならない問題にぶち当たると助けてくれない神に対して「神も仏もない」と嘆く。これでは少し都合良すぎではありませんか?と思ってしまいます。
基本的に創造主は人間に自由を与えました。だから、何をするにも自由です。但し、人生の全ては自己責任です。自由?と聞いてそんな自由何処にあるの?とおっしゃる方、もう一度良ーく考えてみよう。今の仕事、今の家庭(独身でも)は誰ですか?
⇒それはあなたです。
自由といえば戦争するのも自由です。
ウクライナに侵攻したロシアのウラジミール・プーチンはロシア正教徒としてNATOの西側諸国は、カトリックを受け入れた国々を許せなかったという事が導火線としてあったようです。
信仰心がどれだけ強いかはわかりませんが、神様を信仰しておいて平気で戦争は起こせるのもご都合主義だと思います。
少なくとも日本では宗教戦争は起こり得ない。何しろ日本は至る所、全ての万物に神様が宿る国なので揉める動機にはなり得ない。一方、世界の他宗教では一神教が多いから、「神様はこの人です!」とお互い言い合う。これが宗教戦争に勃発する原因にもなり兼ねない。
にしても、これはこれ、それはそれと割り切れるのなら上手く使い分けが出来るのなら、都合の良い神様が居るものだなあと常々思います。
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信仰心がなくても神を信じられなくても力を借りる時がくる!
「マインドリセット」の指導内容の中で、神様のお力をお借りする場面があります。というのも、生命体が進化の過程を歩む上で必ず行き着く先に神の存在があるからです。進化すればするほど”神様との距離”を近くで感じられるのです。
今わからない事を無理に理解する必要はありませんが、可能でれば”鵜呑みにして欲しい”部分ではあります。
例えば、危険を回避して身の安全を確保してくれる場面もあれば、自分の居場所(働く場所)へと誘導してくれたりします。もし、そこが自分にとって相応しい場所でなければ「ここは自分の居るべき場所ではない!」と腹の底で教えてくれます。
この感覚は占星術とも被りますが、運命・宿命という大きな流れで何故か”そこに辿り着いてしまった”という感覚にも似ています。
結論から言ってしまうと、「神様」と「創造主」は存在します。
その目には見えない方々から目には見えないお力を得る方法も身に付ける事になります。
目には見えないとしても必ず存在はしています。
例えば、地方から都会に出てきて滅多に顔も合わせない両親が居たとします。話す機会も少なくなりますが、あなたを産んだ創造主「父親・母親」笑)は地元に居ますよね?
目の前には存在しないけど、必ずそこには居るはずなのです。そのような存在と思ってください。
人間の身体で例えると、人間の身体が創造主としたら、私たちの存在は細胞の一つでしかありません。人間は60兆個の細胞で構成されており、人間が細胞の一つを意識する事は出来ません。特定の細胞を意識して応援する事もありません。
しかし、その逆は有り得るのです。細胞の一つが全体像を意識して周りの細胞と協力して臓器の機能を良くしようとすることが。そうすると創造主(人間)は「お!最近調子良いじゃないか!じゃあ、もっと良くしてやろうか!」とサプリを飲んだり運動して活性化させようとします。
又、その逆で細胞が悪性化して癌化すると、じゃあ切り落としてしまえ!=手術して排除します。
これが天災というやつになります。※ちょっと強引過ぎる説明ですが。
人間の目線から見て天災≒人災は神から見てある種の浄化作用なのかもしれません。
集合意識と共鳴:一部のスピリチュアルな信念では、人々の意識や感情が集合的な意識として影響を及ぼすとされています。この視点では、多くの人々が同じ感情や意識を持つことで、地球全体のエネルギーに影響を与える可能性があるとされています。
神様のお力をお借りする場合の注意点
ここで注意点がありますが、”触らぬ神に祟りなし”という諺がありますが扱い方を間違えると罰当たりになるのではないか?と懸念される方もいらっしゃると思いますが、そこは余り気にされなくて構いません。※逆に無信仰の方が自分にとって都合良いかもしれません。
その理由として、創造主様は地球に人類を誕生させるときに対極な2つを用意し、お互いの関係性で人生を体験出来るようにしたのです。なので、悪も有りなのです。悪=罰が当たるという風にはなっていません。悪は善を経験する為に欠かせないからです。
他の注意点としては、お力をお借りする以上はお返ししなければいけません。そのお返しの仕方とは感謝です。その際に頭で意識してするものではなく、自然と感謝できている自分があればOKなのです。
逆に良くないのは「感謝しなきゃね!」という感覚です。
※何かあった時意外と冷たい態度の人はこれやってると思う。
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特に神様に感謝しなければいけないとか、意識的手を合わせるとか真っ向臭い事は何もありません。あなたの腹の底から「嬉しい・楽しい・有難い」という念が感情として込み上げる事がポイントです。
話を最初の”神道”に戻します。
この世界の全てには神が宿ります。空・海・山・川・植物や木々・動物や昆虫など森羅万象全ての生物や物質神は宿ります。という事は、
当然、我々一人一人の魂の中に”神”は存在します。当然、あなたの中にもです。
神様とは次元の高い位置におられるキリストや仏陀ではなく自分の中に宿っている神様を呼び起こし現実を一緒に変えていく。神様との共同作業が一番効果的です。
あなたの中の神様を呼び起こしてみてください。
一神教の神様一人に対して信者(何十億人いるんだか?)が懺悔したりお願いしても忙しくて対応出来ないと思いませんか?
でも、自分の中に内在している神様は24H365日自分と一体で自分を観てくれています。
常に一緒に居るとしたら「そんな話、聞いてないよ!」とは言わないよ。
なので、あなたの中にある神様とどうお付き合いしていくか?が一つの課題としてあるのです。
最終的な目標としての神様とあなたの立ち位置
イエス・キリストも人として生まれ死後神様へと進化していった存在です。では、私達も同じ足跡をたどり神の世界へ入る事も可能ではないか?
大切な誰かが突然この世を去ってしまったとき、残された家族に○○○は神様になって私達を見守ってくれるのよ!そんな風伝えられます。実はこれも「神道(しんとう)」の考え方にあるのです。
死後、人々は神々の一部となり、神様として存在し続けると考えられています。その他にも日本の伝統的な宗教観念として先祖崇拝というものがあります。死者は神様として存在し、神社や神棚で祀られ、祈りや供物(くもつ)が捧げられます。
死んだら皆んな神様になれるんや!
こうした信仰とは別に「未来創造塾的」な考え方として、日々生命体がプラス(+)を積み重ねてた先は次元を上昇しながら最終的に神様という存在に辿り着けるのではないか?という考えがあります。
普通一般的な私達の生活(人生)は、常に一定若しくは緩やかに良くなるか、緩やかに悪くなる。そんなイメージしかありません。しかし、生命体に自由にプラス(+)を書き込む事を手に入れた私達の可能性は無限大「青天井あおてんじょう」しかありません。
「雲外蒼天」=試練を乗り越えていけば素晴らしい結果が待っているという意味です。
指導を受ける方の中には、目標「神」という方が偶にいらっしゃいます。何の神様を目指しているかは分かりませんが、エベレストの山頂を神の領域としたら、どのルートで頂上を目指したとしても、行き着く先は結局同じなんです。
私としては、そこまでいかなくてもそぼ人の人生が少しづつ確実に良い方向へ進んでいる姿を見れるだけで天国に居る位の幸せ感を感じるものです。
一人一人の人間の本当の可能性は無限にあったという訳です。
本日はここまでです。
次回は、「やる気ゼロ?日本の仕事意欲の現実とその克服法」をお送り致します。お楽しみに!
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